ぽいんぽいん林美蘭(miranartworks)です。
今、報道内容への憤りの嵐と当事者たちへの痛みで胸が押しつぶされています。
こちらのニュースを目にしました。
米“LGBTQ運動”象徴の公園HPから トランスジェンダーに関する表記削除
より詳細にはハフィントンポストのがわかりやすいですし、当事者たちへのインタビューも取り上げていました。
LGBTQ+を「LGB」に変えたストーンウォールの政府サイト⇒トランスジェンダー当事者らが集結「私たちはここにいる」

Wikipediaより
このニュースの背景となぜ自分の胸が激しく痛むのか、記録していきたいと思います。
まず、この報道の舞台であるストーンウォールはかつてニューヨークにあったゲイバーです。
「ストーンウォールの反乱」は1969年6月28日に、アメリカ・ニューヨークの「ストーンウォール」で、性的マイノリティたちが警察への暴動を起こした事件でした。この事件を大きなきっかけとして、アメリカでは性的マイノリティたちが声を上げ始め,ストーンウォール1周年を記念した大々的なデモ行進が現在のプライドパレードにつながっているのです。歴史的に大変意義深い反乱でした。
*こちらのmagagin for LGBTQ+Ally「PRIDE JAPAN」に手短で、かつわかりやすくまとめられていました。 ストーンウォール事件
*余談ですが前年の1968年にフォーカスした企画展が千葉市美術館でありましたがおもしろかった。激動の時代だったんだな。
この暴動の始まりは通説では「ヘアピンの落ちる音が世界に響き渡った」と言われています。ヘアピンというのは性的マイノリティが起こした反乱であることを表現しているそう(実際はコインが投げられたらしい)ですが、象徴的な表現ですよね。
この「ヘアピンを落とした」二人の名前も歴史に記録されています。
シルビア・リベラとマーシャ・P・ジョンソンです。
Netflixに、この二人に焦点を当てたドキュメンタリーがあり、当時の空気感を含めて様子を知ることができます。
「マーシャ・P・ジョンソンの生と死」(本編は日本語翻訳あります)
時折、ストーンウォールの反乱の紹介記事にはゲイたちが引き起こしたと書いてあるものがありますが、シルビアはトランス女性、マーシャはブラックドラァッグクイーンでした。
歴史的な反乱をトランスジェンダー女性とドラァッグクイーンが引き起こしたということはとても重要なことなんですよ。
センシティブな話になりますが、マイノリティって固定的な存在じゃない。
あるコミュニティに対するマイノリティは、別のコミュニティに対するマジョリティになり得て、しかも時には抑圧する側にすらなるというのはマイノリティや人権運動などを追いかけていくとすぐわかります。
このストーンウォールの反乱の時代を見てもそう言える状況がありました。
白人男性に対して黒人はマイノリティであり社会的に抑圧されていたのだけど、黒人コミュニティの中でも、性的マイノリティであるゲイたちはヘテロセクシャルな価値観の強い黒人コミュニティでは抑圧される存在だったし、さらにゲイコミュニティにとってはトランスジェンダー女性やドラァッグクイーンは蔑む対象だったわけです。(その背景としてゲイコミュニティにミソジニーが根強くあったようです)
ちょっと脇道ですが私は一時、映画「パリ、夜は眠らない」でみた黒人ドラアッグクイーンのPepper La Beiraを繰り返し描いていました。
Pepper LaBeija I (作品ページへ飛びます)

Pepper LaBeija II (作品ページへ飛びます)

彼らを取り巻いていた社会の厳しさの中でも、ドラァグクイーンたちが夜な夜なボウルに集い、カテゴリーごとに自分のスタイルを競い合った生き方は鮮烈ですし、存在そのものが抵抗の象徴だった。
その姿に打たれて作品にしたわけです。
ボウル文化はその後アメリカのエンタメに影響を与え続け(マドンナがヴォーギングを取り入れたり)少し前ではル・ポールによるドラァッグクイーンコンテストの番組が大変な人気で、日本にも影響を与えていたりしていました。
話を今回のニュースに戻しますが、アメリカ大統領のトランプ氏が大統領令として「男と女」のセックス(性)のみとすると述べたことに端を発しています。
一権力者の一言で、ストーンウォール国立記念碑の公式ウェブサイトから「トランスジェンダー」や「クィア」の記述が消えてしまうという事態になりました。
ペアピンを落とした二人の存在が、文字通り、現場から抹消されてしまったわけです。
このニュースを目にした時に、思わず私の口から音が漏れました。事件当時最も脆弱な立場にあり、力なきものであったトランスジェンダー女性とドラァッグクイーンであった彼らが再び白人男性の権力者によって消されてしまった。
こんなことが2025年繰り返されている現実の苦しさに胸が押しつぶされそうですし、トランスジェンダーの一人一人がどんな思いでこの現実と向き合わなければいけなくなっているのか想像すると言葉になりません。
でも、幸いなのはすでに2025年だということ。彼らは言葉で消される存在ではない。誰も彼らの存在を奪えないことをあの頃よりももっともっと多くの人たちが知っているわけです。
ちょうど昨年関東大震災時虐殺された朝鮮人たちへの慰霊の作品展を開催したけども、それも歴史に消されてしまう存在への抵抗運動の一つだったと思います。群馬県の慰霊碑撤去も記憶に新しく、リンクしています。
自分にできる連帯があるならば、彼らは存在していると、私も証言していこうと思います。
長く読んでくれてありがとう。
正直、歴史の絡む話だし、自分の知っている程度ではとてもまとめきれないことも承知で書きました。
この稚拙な文章をきっかけに、トランスジェンダー女性たち、ドラァッグクイーンたちが闘ってきた歴史に触れてもらえたら嬉しい。
気になることや感想はお気軽に寄せてください。miranartworks@gmail.com