概要
『三たびの海峡』 青年劇場第134回公演
帚木蓬生「三たびの海峡」(新潮文庫刊)=原作
シライケイタ=脚本・演出
“なぜ憎しみの連鎖は終わらないのか
私たちは海峡を越えられるだろうか
日韓の近代史に焦点をあてた珠玉の名作が待望の舞台化!
「星をかすめる風」につづく、シライケイタ脚本・演出の第二弾。
河時根(ハー・シグン)は、四十数年の時を経て三度目の海峡を渡る。
フェリーの甲板の上で暗い海を見つめながら、彼は思い出していた。
連行された炭坑での地獄のような日々を。
そのすべてを指揮し、同胞たちを死に追いやった労務係、山本三次のことを。
いまふたたび、彼は日本の土を踏む。
残された記憶、人生最後の決意。
そして彼が未来に託したものは―。”

「芸術はなぜ必要なのか?」
アートに興味のない人でも一度くらいはこんな質問を聞いたり考えたことがあるかもしれない。食べられるものでもなく、お金に直結するわけでもない文化というもの。
今日改めてこの問いの答えを体験した。
「三たびの海峡」が開幕した直後から私の目には涙が浮かんでいた。
出だしも出だしで、一体どんな感動的要素があるというのだろう。客観的に考えればそう思うだろう。だが、この劇の最初の場面は、私の中に眠っていた歴史的トラウマを呼び起こしたのである。
主人公である高齢の男性が、数十年ぶりに同じく高齢男性との再会を果たす。主人公の名前は河時根(ハー・シグン)、日本名は河本と呼ばれていた。再開した男性は彼の先輩で同じく朝鮮人である。
高齢の二人が「アイゴー!」と叫び抱き合い、再会を喜ぶ姿に私の脳裏には昔見たテレビの場面がリンクした。離散家族の再会だ。
自分が学生の頃は、離散家族の再会がテレビで流されていた。おばあちゃんやおじいちゃん(ハルモニやハルベ)たちが離れ離れになっていた家族に再び会い、涙を流しながら抱き合う姿を家族で見ていたことを思い出す。在日の一家としてはそのようなニュースに関心を強く持つのは当然のことでもあっただろう。
他人の家族の再会を見ながら、この人たちがなぜ離れたのか完全に理解できていたわけではなかったと思う。ただ、戦争というものが家族を引き離したということだけはよく分かっていた。
42歳になった自分の目の前で始まったお芝居は、この離散家族の再会を久しぶりに私に思い起こさせたのである。
同じ在日でも、この場面を見て私とおんなじことを浮かべるかどうかは世代によって異なるだろう。まして、日本の観客がここで涙するということはほとんど考えられないに違いない。だが、私の記憶は揺さぶられた。
そして続く劇は、物語であり物語にはとどまらないリアルであったのである。
主人公は17歳で日本に渡る。仕事を求めて斡旋屋に頼りやってくるのだが、当初の話とは異なり炭鉱へ送られる。炭鉱の仕事は厳しい。炭鉱という、いつ崩落や爆発の事故が起きてもおかしい環境で一日15時間以上の労働、食事はろくに与えられず給料ももらえるか怪しい。抗議すれば暴力を受け、へたをするとそのまま殺されるまで罰を受けるのだ。
私の母方の祖母の父はまさに炭鉱で働いた。過酷な労働に、このままではいつか死んでしまう、どうせ死ぬかもしれないなら逃げ出そう!と炭鉱から親族のつてを頼りに逃げ出した。
目の前の劇中の話は曽祖父の物語だったのか?
脱走しようとして話が漏れ殺されてしまった朝鮮人。朝鮮人を監督するために地位を与えられた朝鮮人。そしてその上に立つ帝国の日本人。彼らが一つも物語に映らない。それは実際にあちらこちらであった事実であり、在日の誰かの曽祖父や祖父の話なのである。
そう、この劇は戦中に日本で強制労働に従事させられた朝鮮人たちの物語だった。どの場面も、歴史の中に無名で亡くなられた朝鮮人たちの歩みの再現だったのである。
いくつも印象的な場面がある。アリランを歌いストライキに団結していく場面、日本名を聞かれながらも朝鮮名で答え続ける男の姿、ああ、こうであったのかと私の上に積まれている歴史を認識させられた。
在日朝鮮人3世であることをどう捉えるのか。これは本当にさまざまだ。正面から受け止めて歴史の忘却を食い止めようと活動する在日もいる。在日ということはあまり人生に影響を与えず日本人と同じ、として生きている人もいる。片方の親が日本人であったり、近年渡来した韓国人と結婚した在日を親に持つ人もいる。「在日」で括れない。一人一人の物語に耳を傾ける必要がある。
その上で、しかし、「在日」という歴史も確かにあるのだ。
自分はどう捉えているのか、と振り返る。
小学校から学校で学んできた歴史の話はいつも他人事だと感じていた。江戸時代も着物も私には繋がっていない。しかし、在日であることをアイデンティティとして強く持ってきたのかと問われるとそれもまた怪しい。クリスチャンであることのコミュニティの方がより自分には近しかったりもする。
ただ、ひとつ、私にとっては在日であることは祖母と繋がっていた。
私の祖母は千葉市で焼肉屋を営んでいた。まだ60代ごろで引退したのだろうか、孫である自分を連れて千葉城に散歩に行ったりパルコの上の方で回転寿司に連れて行ってくれたことを記憶している。
穏やかな人で散歩が大好きだった。
私が絵を描くことをとても喜んでくれていた。「美蘭はすごいね、頑張ってるよ、よくやっているよ」よくそう言ってくれた。
そんな祖母だったが、日本人は嫌いだった。
カルチャーセンターに通っていたしヨガ教室や万葉の会にも所属していたそうなので日本人の友人はたくさんいたと思う。実際、〇〇さん(日本名)にお世話になって、というような会話もたくさん聞いてきた。それでも祖母は私と二人で散歩している時に「日本人は嫌いだ。悪い奴らだ。」と口にしていた。
自分が祖国を離れることになったこと、差別を受けたこと、戦後の在日の生活も厳しいものであったことなどいろんな理由があると思う。私は子供心に、いつか祖母が朝鮮半島に帰れるといいなと願っていた。それが祖母の真の願いだろうと思っていたからだ。
しかしそれは思い違いだと気がついたのは、もしかしたら自分が30歳近くなった頃だったかもしれない。電車の中で祖母と二人で座っていた時に祖母が「日本人は悪いやつだ」と口にしたのを聞いた時に分かったのだ。
今の祖母を今の韓国へ連れて帰ってもそこには祖母のしあわせはない。なぜなら祖母が戻りたいのは過去の、自分が祖国を離れる時に別れた村の人々とその時の生活だったのだろうから。
時は不可逆なのだ、そう気がついた時に自分の胸の中にはやるせない痛みが広がった。
目の前の舞台で繰り広げられる物語。高齢になった主人公が回想しているのだが、それらはもう戻らない時の中にある。時は過ぎていく。自分も周りも姿が変わり新しい時代に進んでいる。私のような3世の世代、いや、すでに5世だって生まれている時代にきている。
しかし、亡くなった方は戻らない。痛めつけられた傷は癒えたとしてもなかったことにはならない。
そのことを誰が語り継いでいくのだろうか。
劇中、一人の男が石に仲間の名を刻んでいく。「木は朽ちるが石は朽ちない」
私は石を抱えているだろうか?ノミを手にしているだろうか?「三たびの海峡」は結局そんな途方もない問いを私に投げてきたのである。
「人生に問いかけるんではない、人生が問いかけてくるんだ」とは恩師の言葉。生きる意味や意義は人生がつどつど問いかけてくる。その度に私は何を選択するのか、考えなくてはならなくなる。
今、まさに問われたのだと感じた。何か誤魔化せないことがある。
芸術というものは恐ろしい。日常というカーテンで覆われた目の前の現実というものを捲りあげ、背後に潜んでいた誤魔化しようのない生きる意義を、時に叶って突きつけてくる。
芸術というのはげに恐ろしい。
だからこそ芸術はなくならず私たちは折々に触れていく必要があるのだろうというのが自分の答えである。
最後まで読んでくれてありがとう。正直、語ることができた部分とできない部分とがある。できる限り言語化してみた。まとまりがあるかは怪しいのだけど一つの劇が私に強い揺さぶりをかけてきた、このことを記録しておきたかった。
感想などあればお気軽に送ってください。
では、またまたまた~~~
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