ヒルマ・アフ・クリント展
https://art.nikkei.com/hilmaafklint/
東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
2025年3月4日(火)~6月15日(日)
主催 東京国立近代美術館、日本経済新聞社、NHK 協賛 大林組、DNP大日本印刷
特別協力 ヒルマ・アフ・クリント財団
後援 スウェーデン大使
「ヒルマ・アフ・クリント展」をみてきました。平日にも関わらず、チケットの購入には行列ができるように多くの来場者でした。
正直、私は少し驚きました。鑑賞してみてその驚きは疑問に変化しました。というのは、ヒルマ・アフ・クリントの作品はある程度の前提知識がないければ理解がしにくい作品だろうからです。平面の中に描かれた模様のようなデザイン的美しさ以上の理解を持って作品鑑賞できた人はどのくらいいるのだろう。そんなことを思いました。(作品は知識なく鑑賞してはいけないのか、意味がないのか?というトピックはまた議論の沸くトピックですが)
ヒルマ・アフ・クリントとはどんな画家なのでしょうか?
スウェーデンの裕福な家庭に育ち、王立芸術アカデミーを優秀な成績で卒業、職業画家として活動しました。一方で神秘主義などの秘教思想やスピリチュアリズムに傾倒し、交霊術の体験を通してアカデミックな絵画とは異なる抽象表現を生み出します。表現の先駆性や緻密な体系性など、モダン・アート史上、きわめて重要な存在として評価されています。
国立近代美術館「ヒルマ・アフ・クリント展」公式HPより
抽象画といえば、色彩の多用されたカンディンスキーや要素を限界まで削ぎ落としたモンドリアンが先駆者としてよく知られていますが、なぜカンディンスキーやモンドリアンらと同時代に生きていながら、ヒルマの作品は近年まで評価されてこなかったのか。
今回の展示はこの問いのアンサーそのものだったと思います。
ヒルマが評価されてこなかった背景には、一つにはヒルマが女性であったこと、そして彼女の創造の源がオカルトであったことが挙げられるようです。
今の時代になったからこそ、女性画家たちが見直されているのでしょう。また、アカデミックではない作品にスポットを当てられる時代になっているからこその展示なのだと思います。
女性画家の見直しについては別の機会に書きたいですが、今回はもう一つのキーワードから書いておこうと思います。
オカルトとは
皆さんはオカルトと聞くとどんなイメージがあるでしょうか?迷信的なもの、ホラーに近い映画?日本の多くの人には馴染みはなく、知っている方もサブカルチャーの文脈で理解していることがほとんどかもしれません。しかし、オカルトは学問の一つとして、真面目に研究に取り組んだ人々がいた時代もある分野なのです。
「オカルトは、ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。オカルティズムは occult の派生語で、オカルト信仰、神秘学、オカルト研究を意味する[4]。本来は占星術、錬金術、魔術などの実践を指し[5]、これらを occult sciences (オカルト学)と総称することもある。」Wikipediaより
特に錬金術は、表面的には石ころを黄金に変える術として理解されますが、これは物質的な肉体に主なる意識が置かれているところから霊的な存在=純金への変化を探究する学問だったわけです。
ヒルマ・アフ・クリントはこのオカルトの分野に根を張り、絵画を通じて秘境思想、神智学、人智学の思想を絵画言語に落とし込んだ画家ということができます。
逆にいうと、前提としてこれらの思想を理解していなければ、彼女の作品を鑑賞する際に作品の色調や形態について、彼女の個性として解釈してしまい本来のヒルマが描いた作品意図とは大きくずれた解釈になるであろう危険性があるとも言えるのではないでしょうか。
じゃあ、そう書く私自身はどうなのかというと、旧約聖書の外伝をきっかけにグノーシスからキリスト教のオルタナティブな流れに興味を抱き、錬金術やカバラなどに関する本を読んだ時期がありました。特に人文書院から出版されたマンリー・P・ホールの訳書6冊は何度読んでも興味が尽きませんでした。そこから派生して、ルドルフ・シュタイナーの色彩理論を実際やってみたこともあります。(自分の色彩感覚では追求はできなかった・・・)
そのためにヒルマ・アフ・クリントがどのようなことを表現したかったのか、あるいは自分自身の個性の表現ではなく、慎重に、自分に与えられているビジョンに従って制作したのかをなんとなく理解することができたわけです。
ヒルマ・アフ・クリントの作品は・・・
会場では作品「No.11」と向き合ってじっくり作品を観察してみました。
もちろん会場にほんの一部展示された、実験的な膨大なスケッチが作品の土台になっていることは明白ですが、しかし、作品をじっくり見るほどに、思想を絵画言語に置き換える高度な表現力と、意図されていない彼女の個性が美しいハーモニーとなって一枚の上に具体化されている現象の軌跡に驚きしかありません。
会場内では、特に神殿のために制作されたシリーズの3枚は、頂点に向かうグラデーションによって魂の純化を色彩によってあらわし、そして頂点から再び下降する運動を的確な文様を用いて表している流れが美しく、オペラ的でもありました。
ちょっと一回目来場して数時間で見終えられる作品たちだったとはとても思いません。なんで終盤で来てしまったのか後悔しました。
展示のこと
展示を見て自分は一つ思ったことがあります。
彼女の意図としてはおそらく作品は瞑想や思索のためにあるはずだったのでしょう。美術作品として鑑賞されることを願ったのだろうか、まして作品をグッズ化して消費されることは彼女の意図とは180度異なるのではないかな。
とはいえ、現代でこのように彼女の作品が評価される意義は大きいでしょうし、説明や背景の理解なしであっても作品の魅力を感じて手元に持ち帰りたい鑑賞者のニーズに応えることの必要は私なんかが疑問挟む余地がないことなのですが。
そんなことを思いながら会場を後にしました。
自分もしっかりカタログを購入して。
この展示については内容の奥行きと高さがそれぞれ幅広く、例えばヒルマがテンペラで描いていたことだけでももっと考察を深めたく、こんな風に自分が書くことは3歳の時に描いた絵と同じ程度の内容なのだけども自分の整理のために記録しました。
最後まで読んでくれてありがとう。感想はお気軽に送ってください。
miranartworks@gmail.com
また次のブログで会いましょう。
No.11というタイトルで展示されていた作品
テンペラを使用するためにキャンバスの上に厚紙を貼っていた
画面の中で一番目を引く、遠近法に従って描かれた四角の中にグラデーションの7色が青と黄色の線で4つの部屋に分けられている
