FUNIさんが抱えてきた街と葛藤の歩みの一部を私も辿ってみた散歩の記録。
1、川崎という街
2025年3月27日木曜日。私はJR川崎駅に初めてきた。
たくさんの人たちが往来しているが、それでもさほどぶつからずに歩けるほど改札を出た後の駅の空間が広い。おそらくはインドの若者たちだろうか、10名以上が列になりリーダーらしき人の話を聞いている風景があったりと、海外からの住民らしき人たちも多いことがすぐにみて取れる駅だ。雑踏の中で参政党の熱心な演説が耳の端っこに聞こえてくる。

西と東に分かれている出口の外には、それぞれよく知られた店舗の入るモール的なビルがあり、ショッピングの充実度も考えると、サイスサイドカワサキと呼ばれるゲットー的なエリアがある駅とはとても感じられなかった。

駅で待ち合わせたFUNIさんと合流し、まず初めに、FUNIさんの核的コミュニティである教会があるエリアに向かった。
川崎市の南側“サウスサイドカワサキ”は在日コリアン2.5世のラッパーFUNIさんが育った街だ。ブルーカラーが多く住み、治安のよろしくない歓楽街であったそうだ。現在はかつてのようではないが、それでも、大企業に勤める人たちが多く住み、背も高いマンションが立ち並ぶ北側と比較すると経済的な格差や治安の様子はずいぶん異なるらしい。
スーパーの屋上に車を停め、周りを眺めると駅周りとは様子が異なる住宅街だった。が、一見するだけでは特別なネガティブな雰囲気は感じられない。

街を歩くとすぐにFUNIさんの顔馴染みさんにすれ違う。在日の友人の妹で、自転車でお弁当配達に行った帰り道とのこと。
ほんの少し歩いただけで誰かに出会うくらい、FUNIさんはこの街に濃く関わっているんだなあ。
2、在日大韓基督教会と街の関わり
そのまま、最初はさくらもと保育園へ向かった。FUNIさんが通った保育園で、商店街からすぐのところにある。門のピンクと建物の濃いブルーが印象的だ。
そして少し観察すると、扉に「ヘイトスピーチ許さない」のポスターが貼られているのが見えた。


自分の住む地域の保育園で「ヘイトスピーチを許さない」というポスターや配布物が貼られているのをみたことがない。ああ、こういう街なんだ!
まずそのポスターを見て納得した。その他の掲示物も日本語だけではなく、韓国語、中国語、英語、などの複数の言語で必ず表記されていた。
園の前でFUNIさんの話を聞きながら写真を撮っていたら園の方々がでてこられた。(ちょっと怪しく見えたかな) 最初は訝しそうに見ていたが、FUNIさんだとわかると皆さん笑顔になり、「久しぶり!」「卒園生だ」などと声をかけてくれた。園のペ・ピョンスンさんも来てくれて、共通の知人の話をする気心知れた様子が微笑ましい。FUNIさんにとってはお姉さん的な存在なんだそうだ。
保育園を後にして、その次は在日大韓基督教会川崎教会へ向かった。歩いても数分もしないご近所にある。
実は、この教会が社会福祉法人青丘社として先ほどの保育園やその付近の福祉施設を運営している。
複数の施設を運営を始めるきっかけは在日コリアンたちのコミュニティの課題からだった。
自身も在日コリアンの牧師が立ち上げた、在日大韓基督教会川崎教会では、信徒である親たちが働くときに、子供たちを預ける先がないという問題があった。(当時は日本の園に受け入れてもらえなかったそうだ)
それではどんな背景の子どもたちも預かろうと、開かれたのが先の保育園だったとのこと。必ずしも在日の親だけではなく、その他の海外から来た親たちの子供や日本人の子も受け入れているということで、開かれた保育園である。

教会に入ると、建物の中にはいろんな機能があり、地域の人々への福祉的活動も盛んなのだろうな、ということはチラシの種類の多さを見ても感じ取れる。朝鮮学校の子供達への食事ボランティアやフードパントリーの案内、文化活動のお誘いなどもあった。

建物は数年前にリニューアルされたそうで、綺麗だ。しかし、育った時の教会の面影がなくなり、FUNIさんにとっては場所への親密な感情が薄れてしまったとのこと。人情としてはその感覚もよくわかる。
社会福祉法人青丘社はそのほかにも地域相談支援センターさらんやふれあい館桜本こども文化センターを運営している。いずれも在日コリアンが、代表であったり施設運営に大きく関わっており、街の中での在日の存在の大きさも私には一つ驚きであった。
ふれあい館桜本子供文化センターにも立ち寄った。ここの代表は崔江似子(チェ・カンイジャ)さんだ。
カンイジャさんというお名前はニュースで聞くことがある。川崎市は全国に先立って、ヘイトスピーチに刑事罰を科する条例を施行している。
その2016年にヘイトスピーチ解消法の成立に関連して、国会の参考人質疑に立って以来、ネット上でさまざまなひぼう中傷にさらされてきた方だ。
カンイジャさんへのヘイトスピーチとその違法性が認められるまでの裁判の関するまとめがNHKから出ていた。(わかりやすいまとめでしたので一読オススメ)
【「祖国へ帰れ」は差別的で違法 その判決が投げかけるものとは】

ふれあい館では様々な背景の子供達が遊んでいた。その部屋には、字を学べなかった在日のハルモニたちが学んで書いた習字や子供たちの習字が貼ってある。
私が圧倒されたのは舘の本棚だ。ここでは在日がどう闘ってきたかの資料を誰でも見られるように置いてある。あらゆる、在日が直面してきた社会課題とそれに対しての歩みの記録のファイルが棚に並んでいるのだ。
川崎では在日たちがその存在をかけて闘って来た歩みがあり、だからこそFUNIさんたちのように街で濃く関われるコミュニティが保たれて来たのだろうと思う。
3、FUNIさんと川崎
ここからは施設ではなく街を巡っていく。

細い小道が多くなり、そこで出会う家々もなんとなく破綻している様子のが増えて来た。
ここでFUNIさんの旧実家に立ち寄った。小さなアパートの二階だ。でもたくさん人が出入りした、とFUNIさんが教えてくれた。商売で働く親が多かった友人たちのことなどのエピソードなども聞きながら私は簡単なスケッチをした。印象深い家だった。

ここで幼少期から小学校あたりまでを過ごして引越した後も教会に毎週通ったさくらもとの街はFUNIさんにとってどんな存在なんだろう。この濃さが嫌になることはなかったのか?と聞いた。
「出ていきたいと思っていた」という答えがくる。
でも出ていけないから鬱屈した思いが溜まっていくのだと。
車に乗り込み、池上町へ移動した。池上町は地図にない街と言われてしまう街だそうだ。到着して歩いてみたが、なぜそう言われるのか、わかる気がした。
さほど広くはない一角なのだが、家々の密集っぷりは想像したことない密着度である。そしてチグハグに立ち並ぶ。道があるのかないのか、家と家の隙間が道になっているという様子だ。裏通りを器用に歩く猫のように、FUNIさんは歩く。
ここにはスーパーのような日用品のお店はひとつもない。幹線道路ひとつ向こうには商店街もあり、なんなら少し隣にはコストコもあるというのに!
そして歩く人がほとんどおらず、全体にひっそりとしている。といって廃墟が多いというのでもない。でも、大きな声で存在を主張することなく、家々が寄り添い、静かに淡々と自分たちの時間を生きてゆく、そんな印象を受けた。
もしかしたら一番記憶にある音はJSFスチールの工場音だったかも知れない。

池上町の端っこは川に面していた。空気が一気に通っていく場所で深呼吸をするとやはり、どことなく閉ざされた空気を感じていたのかも知れない。


それから海底トンネルへ向かった。
途中、川崎の工場地帯を通過した。住まいはなく、どこまでもダクトが剥き出しの工場が続いていた。
「人の汚いものが集合している場所」とFUNIさんは表現した。いろんなケミカルなものも集まっている。空気ももしかしたらあまり綺麗ではないかも知れない。
それでいて、工場街というのは独特の魅力がある。合理性を突き詰めた建築物はむしろモダンアートになってしまう、そんな会話を交わした。

海底トンネルは地下深く降りていく。光もない空間で先が長い。段々と気持ちが沈みやすくなるのがわかる。
ここを舞台としてFUNIさんは飯山由貴さんの映像作品「インメイツ」を撮った。戦中の精神病棟にいる2名の朝鮮人たちの会話劇を通じて、日本人て誰か、朝鮮人は誰か考えさせられる作品だ。
この作品は、2021年東京都人権委員会によって上映予定だったのに取り消しとなり、検閲ではないかと問題になった。その時の記者会見の様子がポリタスtvでアップされていた。
【飯山由貴作品〈〈In-Mates〉〉への東京都人権部による検閲事件について【記者会見】
理由の一つとしてFUNIさんの映像中の歌詞(セリフ?)の一部が不適切な表現であったことが挙げられている。
地上に戻り、地上ルートで海底トンネルの向こう側である扇島へ向かった。海底トンネルの鬱屈さが嘘のように、扇島は海に面した見晴らしの良い場所だ。
向こう岸には工場地帯がパノラマで広がり、なんとも言えない風情を感じる。


ここは人の目が届かない場所で、解放された気持ちになるとFUNIさんは言った。
「よくここで友人たちと1日の終わりに集まり、いろんな愚痴や思いを吐き出した、だから生きていられた」
そんな言葉も出た。
強い海風が吹く中、しばらく歩いた。
帰りにはFUNIさんの現実家へ立ち寄り、ご家族たちと車に乗って川崎駅まで送ってもらった。
時間としてはそう長くなかったのだけども、濃さにあてられた。
FUNIさんはすでに川崎を出ている。けれどもFUNIさんの一部は川崎にとどまって離れられないでいるのだろうと思う。
街とアーティストの関係は経験と記憶とを背負って今に地続きでつながっている。
時間的に離れても、その場所には自分の一部がいつまでも存在する、FUNIさんと巡った帰り道そんなことを考えた。
*FUNIさんとは言語表現と非言語表現の交差するところで何かを立ち上げたいと思っていますので、経過を時折上げていきます。
*FUNIさんのアルバムが近々発表になるのだとか!
*2025年5月23日金曜日にふくろうFMの私のラジオ番組「キラキラスクランブル略してキラスク」にゲストで来てくれる予定です!