ドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター。その個展が、日本では16年ぶり、東京では初めて、美術館で開催されます。
国立近代美術館公式HPより
リヒターは油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用い、具象表現や抽象表現を行き来しながら、人がものを見て認識する原理自体を表すことに、一貫して取り組み続けてきました。ものを見るとは単に視覚の問題ではなく、芸術の歴史、ホロコーストなどを経験した 20世紀ドイツの歴史、画家自身やその家族の記憶、そして私たちの固定概念や見ることへの欲望などが複雑に絡み合った営みであることを、彼が生み出した作品群を通じて、私たちは感じ取ることでしょう。
https://richter.exhibit.jp/
会期:2022年6月7日(火)~10月2日(日)
10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで 定休日月曜日
1、会場到着から入館まで時間かかったぞ!
現代アートの巨匠として知られるゲルハルト・リヒターの大規模個展が国立近代美術館にて開催されました。会期終了前にギリギリ行ってきました!
会場ですが人が多い!若い人たちが多い!すぐに入れずに、整理券を配られて1時間以上後の入館とわかりかした。どうしよう。
ということで、向かいの皇居へお散歩に。お庭の中でも竹林に心惹かれました。数種類の竹がそれぞれ植栽されていますが、竹にも種類があったんですね。自分の好みを発見。今度絵に取り入れられるのではないかと思ってスケッチしていました。
芝生でお昼寝も済ませてさて会場へ。
1、ゲルハルト・リヒター展全体像
ゲルハルト・リヒターはドイツ・ドレスデン出身の現代アートの巨匠です。今年で90歳を迎え、60年の画業という大変長いキャリアのアーティストですね。
60年という蓄積で幅広い作品があるであろうことは想定していましたが,実際に見てみると振れ幅が非常に大きい作品群でした。
自分はリヒター作品は絶対見ておかねば、と思う一方で詳しくリヒター作品に触れた記憶はありませんでしたので、これだけの振れ幅とは知らず,まず驚きました。
カメラのような焦点とボケの組み合わさった写実的作品から、意図を極限まで排除した抽象画、スケッチに、現代アート的造形物と呼んでもいい作品たちまで内容も量も充実していました。そんな作品群を一言で言うなら「見るって何?見てると思い込んでいるのでは?」の問いへのアプローチでしょうか。
ではその中からいくつかの作品にフォーカスしたいと思います。
2、詩のようなスケッチたち
会場に人が多いときは、まずは足早に会場全体を歩きます。そしてその中で惹かれた作品に近づいていく、という入り方をよくやります。
今回は、展示の最後のエリア、リヒターの日記のようなスケッチたちに惹かれました。日記のような,というのは,各スケッチにはタイトルはなく日にちがキャプションに載っていたからです。
スケッチは紙にグラファイト(黒鉛)で描かれています。おそらくは粉と鉛筆タイプとの併用でしょうか。紙に繊細に広げられた鉛の黒とキリッと引かれた線が目立ちます。
じっくり見ていくと、一見抽象的ないスケッチに具象的な風景を感じます。それがなぜなのか私の脳がキャッチした情報を少し書き出してみました。
こうしてみていくと日々のリヒターの心の風景のようで、一枚一枚を楽しむことができました。
3、ピンボケとシャープさで視点を揺さぶる。
今回のリヒターの油彩の作品は「アブストラクト」(抽象画)と「フォト・ペインティング」と呼ばれる2つの作風を見ることができます。フォト・ペインティングは抽象画に比べると描かれているものが明確で,おそらく多くの人には理解しやすく見えるかもしれません。
例えばこの作品を見てください。
皆さんにはどう見えるでしょうか。
美しい花々とそれを活けた花器と後方の別の植物もしくは影でしょうか。
私にはリヒターのフォト・ペインディの作品を見ていると、ふと、自分は見ている, 理解していると思い込んでいるだけなのでは?と言う疑問が浮かび上がるのです。
目の前にはピンボケをしている、けれども、これだろうと思うものが描かれている。その時にこれだろうと思うものをイメージするのは、実は脳の補正があってではないでしょうか。
描かれているぼやけた実体がやや曖昧なそのものを見るのではなく、「ピンぼけしている」と言う、シャープな輪郭の正解に沿わせて解釈していることを発見するのです。つまり,見るとは実際目の前にある見ているものそのままなのではなく、一部は実際を無視して脳が判断する正解を見ていることになるわけです。
そうすると純粋な視覚とはなんでしょうか。私たちはさまざまな状況、時代性、思い込みでものを「見ている」と思い混んでいるのではないだろうか。そんな問いかけが浮かんでくるのです。
4、色彩のマジックと脳の錯覚
「脳が見ると思い込ませているんではないだろうか」と言う問いは引き続き、こちらの作品を前にするとさらに揺さぶられました。
横幅どのくらいでしょうか、えらく長ーい作品です。目の前に立つと色の線しか見えません。綺麗に引かれた何色もの線の画面を前にしばらく見つめていると、平面のはずが,色のブロックごとに手前や奥を感じる感覚になるのです。
これも脳が焦点を求め、立体化して物を認識しようとするためなのではないかな、なんてますます思います。 ぜひ,しばらく一点を見つめて作品を体験してみてください。
もう一つ、これはただの線のようですが、実は世界の一部を切り取って横に果てなく引き伸ばすとこれだけの色の線に還元されるのかもしれないな、なんてこともぼんやり考えていました。
5、今展示最も見るべき作品の部屋「ビルケナウ」
さあ、今回の展示で最も私を揺さぶったのが「ビルケナウ」と言う作品でした。横幅2m、高さ2.4mという巨大画面4枚の油彩画抽象作品です。グレイや赤を中心としたモノトーンに近い印象の画面です。
ユニークなのは、この作品のプリント版が同じサイズで4枚,油彩画に向き合う形で飾られているのです。
これはおもしろい構想だと思います。さまざまな解釈があると思いますが、自分は実体と虚像あるいはアナログとデジタルの世界などいくつかの対比を考えました。
見るとは何かを考えさせられますが、実はこの作品はもっと深い意味があります。それは同じ部屋にあった、最後の展示物がキーでした。
その展示物はビルケナウで撮影された4点の写真です。(それらは撮影禁止です) モノクロで一見何気ない風景のようだったのですが、さにあらん。
衝撃を受けました。写真におさめられている人たちが何かを燃やしている。あ、たくさんの人の死体だ・・・。
実は、ビルケナウとはアウシュビッツ第二収容所のことでした。「アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所」なのです。
リヒターはドイツ人です。彼はこのビルケナウという4枚を2014年に制作しています。一体、戦後どれくらい経ってからの作品でしょうか。 彼はどのような思いでこの4枚を描いたのでしょうか。
テーマを理解したあとは作品が急に変化しました。4枚のリヒターの告白であり、集団としての記憶であり、共に体験を味わう壁にも見えました。絵画とはなんだろうか。真摯に考えさせられました。
6、最後の油彩画の前で。
リヒターは「ビルケナウ」を描き上げたあとは、アブストラクト(抽象画)を描いています。そしてこの一枚を描いて「油彩画はもう描かない」と宣言したのだそうです。
抽象画はよくわからないんだよなあ、と心でぼやきながら最後の一枚となったこの作品をしばらく見ていました。
すると、おや、おやおや?何か水面を感じるぞ? 作品が風景のようなさざなみの画面に見えてきたのです。そしてよく見ていると、絵の具の凸凹や色の層の重なりからリヒターが絵の具を,描くという行為を楽しんだのではないだろうか?という思いが浮かんできました。
結局、ビルケナウをしばらく見てこの油彩画を見直す、またビルケナウに戻ってこの一枚を見直す・・・。何セットか繰り返しました。
サウナの熱と水風呂を繰リ返すようなもんです。それはつまり・・・。
「ととのいました!!」
ガッツリ,リヒターという巨匠の問いかけを味あわえていただけた!そんな思いで満たされてようやく会場を出ていくことができました。
ゲルハルト・リヒターは見にいくのではなくぜひ体験をすることをオススメします。
詳細なレポート、楽しく拝読させて頂きました。こんな映画もありましたね。https://youtu.be/DdikW-mNyxI
この映画は知らずにおりました。 調べてないのですが,初めの演説の美術家はヨーゼフボイス??
主人公はリヒターですね。こんな背景があったとは・・・。教えてくれてありがとうございます。