林美蘭(miranartworks)です。 みーんみーん。
2025年最初の展示はここからになります。
東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんの展示に参加させてもらうようになって4回目かな?最初は2020年の展示でした。以下にこれまでの出品作品をご紹介します。
2020年
2021年
2021年
今年は「やえこさん」を出品予定です。
やえこさんのスケッチを元に制作した作品がこちら。
モデルのやえこさんとは千葉県八千代市にある52間の縁側というデイサービス施設で出会いました。施設にスケッチのために訪問するたび穏やかそうに座っているやえこさんの姿は何故か自分の目を惹き、訪問時に挨拶を交わすことを繰り返して、最終的にお話をすることができました。
ただ、必ずしも音声で会話がスムーズに進むわけでも無く、紙に文字を書きながら彼女のルーツや家族のお話を聞かせてもらいました。なぜ会話がスムーズではなかったのか、ここに彼女の人生とその背景があったのです。
やえこさんから聞いたお話を整理すると、彼女は50代の時に日本で生活を始められたようです。それ以前はペルーにいたのだとか。スペイン語の生活の方が長かったのでしょう、日本語でのスムーズなやり取りが難しかった理由がわかりました。
御年90歳をこえているやえこさん。子供時代にペルーに移動されているのは珍しいかったのではないだろうか。なぜペルーなのだろうと少し調べてみました。
すると実は日本とペルーの間には個人の事情を越えた日本人としての移動の歴史があったのです。
1899年にペルーへ契約労働者渡航として日本人が移動した記録が残されています。当時の日本は王政復古ののち(つまり明治政府時代)西洋に追いつけ追い越せでした。しかし、大きな社会変化は農村等の在り方も変え結果として国外に経済発展の地の開拓を求めることになります。
特に農業形態や経済構造が変わっていくなかで、農村部を中心に余剰労働力及び家庭経済が貧困化する状況が生まれ、国内及び海外へ移動する出稼ぎ労働者が増加したのです。
https://discovernikkei.org/ja/journal/2014/2/28/historical-overview/
これって朝鮮半島への日本人の移民と構造は同じ、要は植民地化政策の一環だったと言えるのではないでしょうか。ペルーへは以降も継続的に集団的な移動があったようで、おそらくやえこさんのご一家もその文脈で移動されたのではないかと勝手に推測しています。
八千代市で出会った一人の方の背景に見えるものと自分のルーツとがシンクロし個人的に忘れがたい制作でした。
こちらの作品はさらに手を加えて出す予定です。もうすでに描写(絵として描く)は終わっているというか、これ以上の描き込みは細かい説明にはなるけれども絵としては進歩しないと思っています。
でも作品としてここで終わっていいのかというと、もう一歩先に進めたい。おそらく、縫いを加えるつもりでいます。
最終的にどのような展示になるか、お楽しみに。
また、今回の展示はアーティストトークが予定されています。作品背景についてはこちらでも話す予定でいますのでご都合合いましたら会場でお待ちしております。展示はクラファンされています。詳細もわかりやすいので下記リンクをよければのぞいてみてください。
流転展 アーティストトーク 2025年2月2日日曜 13:30~