2021年6月11日
いくつもあった国の分岐点をまた一つ、日本は曲がった。
参議院本会議で国民投票法改正案が可決。
反対は共産党のみだった。
「国民投票法改正案」がなんなのか、どう危険なのかは立場によって異なる。
国民の改憲の権利を保障するために
投票することができるよう整える法だ、という主張もある。
国民投票するための手続き法だという弁護士もいる。
菅首相は、「改憲のための第一歩だ」と2021年5月3日の憲法記念日に語った。
共産党は改憲につなげるための悪法だとする。
手続き法という主張か、改憲につながるものだという主張に分かれる中で、
自民党と共産党は同じ土俵で話していることになる。
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国民投票法は、憲法を改正する際の国民投票の実施のために審議されてた法案だ。
しかし、国民投票を実施した際に、国民の何%が投票すると有効で、
それを下回ると無効になるという最低投票率の規定がない。
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また、国民投票する際には改正に対する意見が出てくる。
盛んに広告も意見表明も出されて活発な議論を仕掛けられてくるだろう。
しかしそれは資金によってどれだけ広報できるかの差が出る。
当然資金力があればたくさん広告を打てるし、
大手の広告会社がプロモーションできる。
その資金力の差を是正して公平な情報の配信環境を整える必要はないことになっている。
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この2つの話は、つまり、一部の国民の意思で
国民全体に関わる憲法が変更されてしまうことがあり得ることを示している。
日本は武力での課題解決を放棄しているが一部の国民は自衛隊を国軍として
武力での課題解決をできる国にしたがっている。
その意思を推進したい政党が中心となって提案されていた法案だ。
当然そうなりやすいようになっているのだ。
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じゃあ、今の憲法を改正したいと思わない側の国民はどうしたら良いのだろうか。
日本国憲法の平和理念、個人が尊重されることに賛同する国民は、
一部の意見で自分が大切にしている国のルールを変えられてしまうとしたら?
憲法の理念を支持する国民は全体の%で多いのに少数派の意見で変わってしまうとしたら?
日本はそんな課題を実際に考えていかなくては行けない状況になった。
それが6月11日の可決の結果なのだ。
国の政治の中心地で考えていた。
じゃあ、私はどうなのだろうか、と。
自分の現場はどこで、今この時に何を任されているのだろうか。
個人の自由と尊厳が最大限に保障されなくなる国は
自分の表現活動にどう影響するのだろうか?
果たしてその中で気兼ねなく表現はできるのだろうか。
そうでなくなったとしたら日本にそもそも留まっていていいのだろうか?
個人の自由と尊厳が保障されていて欲しい。
言論や表現の自由が当たり前であって欲しい。
だとしたら、何ができるのだろう。
国の政治の中心の地で考え続けていた。